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   <title>BOOKOFFで100円</title>
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   <subtitle>BOOKOFFの100円棚で思い向くままに手にとった本を乱読した読書記録。ただし読書量は少なめ。</subtitle>
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   <title>おわりに</title>
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   <published>2007-12-31T14:36:53Z</published>
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   <summary>これでもう二度と更新しないというわけではないのですが、一応2007年の目標だった...</summary>
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      これでもう二度と更新しないというわけではないのですが、一応2007年の目標だったので年末で一旦締めのエントリーを残しておきます。(実際に書いているのは年が明けてからなんですけどね)

2007年の目標として幅広い分野の本をとにかく読むというのを掲げました。具体的にはBOOKOFFの100円棚から価格を気にせずとにかく気になったタイトルの本を選んで買って読んでみると。「はじめに」には書いてませんでしたが、実は冊数にも一応のノルマを設けていて月に5冊、年間に60冊としていました。

で、その結果ですが、一応それなりに幅広い分野の本には目が通せたかなとは思います。この企画を思いつかなければ多分手にしなかったであろう本を手に出来たのは大きな収穫だと思います。多少なりとも自分の好奇心を掘り起こせたのは成果としてあったでしょう。

次に冊数ですが、トータルで55冊と残念ながらノルマには達しませんでした。年の前半はわりといいペースでノルマを達成出来たのですが、夏から秋にかけてがっくりと量が減ったのが響いて、年末に向けてのラストスパートでも残念ながらトータルノルマの達成には至りませんでした。まあ60冊が55冊になったところでだからどうしたということなんですが、自分で掲げた目標に達する事が出来なかったのは、やはり残念。

読書自体とは別にこのブログで実験してみたかったアサマシエイトの効果ですが、これが笑ってしまうくらいに売れませんでした。売上ゼロです。まあ、当たり前と言えば当たり前ですけどね。額が少ないとはいえ、多少なりとも売上のあったAdSenseの方がまだマシです。ただ、クリック自体はそれなりにされたんですよね。意外なことに。だからアクセスを増やせれば、多少は売れるのかもしれません。

このブログに感想を書いていて思った事。自分にとって読書というのは、特に今回選んで読んだノンフィクション系の読書というのは、本から知識自体を得る事よりも、本の内容から派生して自分の思考を巡らせることなんだなぁということ。と言ってもそんなたいした思考ではないんですけれども。だから「はじめに」にも書評ではないと書きましたが、実際にも全然書評になっていない。下手すりゃ感想にすらなってない。本を読んだ事をキッカケに自分で考えた事のメモになっている。だからどうしたという話なんですが、実際にそれを実践して結果として得られた事はそれなりに面白かった。

ということで、1年間に55冊の本を読んだ記録でした。買いためた本はまだ何冊か手元に残ってますし、今後もBOOKOFFの100円棚はおおいに活用すると思いますので、ここもまだ更新するかもしれません。読書後に思考メモレベルであっても書いてまとめるというのはそれなりに面白いことだったし。ただ、書いてまとめる事自体が多少は負担でもあったので、2007年に読んだ55冊のように読んだ全てについて書き残す事はもうしないかもしれません。
      
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   <title>「オトナ語の謎。」糸井 重里</title>
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   <published>2007-12-27T02:21:07Z</published>
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   <summary> 糸井重里氏が企業社会で使われている独特の言い回しをオトナ語としてまとめていると...</summary>
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糸井重里氏が企業社会で使われている独特の言い回しをオトナ語としてまとめているというのは知っていたけど、具体的には読んだことはなかった。元々はウェブサイトにあったコンテンツをまとめた本。

読んでると確かにニヤっとさせられるところはある。まあ面白いといえば面白い。ただ、分量が多い。300ページ以上もまとめて読んでると、正直お腹いっぱいになってしまう。ウェブサイトなりメールマガジンなりで1日1ネタ程度で披露されるとちょうどいいんだろうけれど、まとまってるとしんどいなぁ。

ただ、まとまっていることで資料性は高くなる。前書きに新社会人向けの教科書としてもとあるけど、現代民俗学(?)的な資料としての価値もあると思う。

読んでて気になるのは、解説文のほとんどがちょっと皮肉めいていること。読んでいるのも書いているのもオトナ語の使い手だから自嘲めいているんだけど、これだけ繰り返されると少々嫌気がさしてくる。

個別のネタでちょっと気になったこと。「名刺を切らしていまして」は別に名刺を忘れたわけではない。それは名乗っている会社の所属ではなく、実は子会社だったり下請け会社の人だということ。言われる側もそれは承知していて、相互に暗黙の了解がそこにはある。こんなことを知らないということは、糸井氏もしくはネタを出した人は、そういう他人の看板で仕事をした経験がないんだろうなぁ。それはそれで幸せなことで羨ましいことではあるんだけど。

もう一つ。「まえかぶ」「あとかぶ」が出てきたけど、会社には他にも種類があるぞ。会社法になって厳密にはなくなったけど有限会社だと「まえゆう」「あとゆう」もあるべきじゃないか。合名/合資/合同だと「まえめい」「あとめい」「まえし」「あとし」「まえどう」「あとどう」のはず。法人は会社以外にもまだまだあるぞ。財団法人だったら「まえざい」「あとざい」、医療法人は「まえい」「あとい」、宗教法人で「まえしゅう」「あとしゅう」もあってしかるべきではないか。いやないか。

それにしても「大人語」ではなく「オトナ語」か。さすが名コピーライターだなぁ。
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   <title>「映像とは何だろうか ― テレビ制作者の挑戦」吉田 直哉</title>
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   <published>2007-12-11T07:54:47Z</published>
   <updated>2007-12-14T12:04:07Z</updated>
   
   <summary> テレビ創世記から活躍した筆者による実体験を交えた映像に関する考察。 ちなみに筆...</summary>
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テレビ創世記から活躍した筆者による実体験を交えた映像に関する考察。

ちなみに筆者は元NHKディレクター。映像に関わる仕事としては王道中の王道。一方、実は私も8年ほど映像に関わる仕事をしていたことがあります。といっても映像業界の中では傍流のCG制作プロダクションで、さらに傍流のコンピュータエンジニアとしてだけど。だから映像に関しては決して素人ではないという自負はあるんだけれど、正直言って門前の小僧程度のものでしかないから、こういう王道の人に対しては引け目を感じてしまう。だからまあ、改めて素人のつもりで映像とは何かということを改めて学んでみたいなと思って本書を手に取った。

本書の前半はなかなか分かりやすいし、素直に面白い。主にドキュメンタリーを撮影する経験談が中心だけど、全てを撮影できるわけではないから映像が真実の全てでは無いという点であったり、映像が一人歩きしてしまう点などは、よく理解出来る。

エピソードの中で面白いなと思ったのは、初期の撮影現場においてカメラを移動させるたびに対象物までの距離を巻き尺ではかってピントを合わせていたところ、ついには「いちいち邪魔するんじゃねえ」と怒られてしまったという話。ここで面白いのは私の所属していたCGプロダクションのディレクターから聞いた話。ずっと時代は下がって1990年頃のこと、実写とCGを合成するために撮影スタジオでカメラがセットされるたびにカメラ位置を計測してたところ、実写撮影班から邪魔者扱いされたとのこと。かつては自分たちが同じことをして邪魔者扱いされていたのに、立場が逆転したんだね。なんか皮肉な関係。

面白いエピソードだなと思ったのは他にもある。日露戦争時のフィルムを発掘したときに、よく見ると舞台裏がちょこっと見えていたりする。つまり、ドキュメントと思ったらやらせフィルムだったと。これについて筆者は、やらせ映像であるという事を知っている人が居なくなったらこれが真実であると思われてしまうのではないかと懸念している。個人的にはそれはそんなに心配する事はないと思う。別にこれは映像素材だけに限った話ではなく、古文書でもなんでもあり得る事。そういうとき歴史家は複数の史料をつきあわせる事によって史実を推測するという作業を行っていく。映像素材も史料のひとつに過ぎないわけだから、映像だけが特別な道をあゆむことはないと思う。

この辺まではまだついていけるんだけど、後半になって難易度は一気に加速度を上げる。廃墟とかモンタージュとか割り符とか、一度通読しただけでは全然理解できんかった。悔しいんで、またいつか読み返してみたいと思う。

それにしても、今現在映像を制作している人で、映像とは何かをここまで真剣に考えている人はどれくらい居るだろうか。筆者の場合は映像が何であるかが全く分からない時代に手探りで制作してきたからこそそれを考えることが出来たのは確かだろう。既に方法論は確立され、フォーマットに則っていればベルトコンベアー的に映像が次々制作できてしまう現代において、そんなことを考えるきっかけすらないのかもしれない。私がCG制作プロダクションで働いていた時代はCG映像が黎明期だったからCGとは何であるか、何ができるかについては多少なりとも考えることはあった。でもそんな我々にしても映像自体については既に思考停止していたような気がする。それを時代のせいだけにするのは卑怯かもしれないけれど、筆者はある意味幸せな時代を過ごせたのではないかなとも思う。]]>
      
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   <title>「なぜ仕事するの?」松永 真理</title>
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   <published>2007-12-08T07:51:08Z</published>
   <updated>2007-12-14T08:25:12Z</updated>
   
   <summary> どうもいまいちピンとこない。私には女性エッセイストの文章は合わないんだろうか。...</summary>
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どうもいまいちピンとこない。私には女性エッセイストの文章は合わないんだろうか。これで合わなかった女性によるエッセイは４人目だ。そういえば本書の解説はやはり私がピンとこなかった群ようこ氏だというのは偶然なのかね。

ただ、合わないと言っても松永真理氏-群ようこ氏のラインと石原里紗氏-笠原真澄氏のラインは明確に違うよな。前者はほんとに感性の違いによるものだと思うけど、後者は品性の問題だと思うから。あーまあそれはいいか。

そういえば同じ松永真理氏の本でも「iモード事件」は面白かった記憶があるな。あれはエッセイと言うよりはドキュメントだから、また違うとも言えるか。

さて本書。本書は筆者が仕事をするなかで感じた様々なことをまとめた本。読んでて面白いなと思ったのは、松永真理氏と言えば日本を代表するキャリアウーマンと言って過言ではない。そんな人は人生の全てをテキパキと進めてきたんじゃないかと思ってしまうけど、意外とモラトリアムがあったりコンプレックスがあったり、本人の告白を信じる限り少なくとも大学卒業時点まではどこにでも居る平凡な学生だったこと。それがその後ぐんぐん伸びていったのは、本書にあるような様々な視点で仕事について考えていったからなのかねぇ。

本書を書いたとき筆者は30代の後半。実は今の私も同じ年代であり、そして現実に今仕事について色々悩んでいるところはあるんで、本書は自分にとってピッタリの本ではないかと期待して読んだ。んだけど、残念ながらピンとこなかった。本書は多少は女性向けの内容も含まれてはいるものの、全般的には男女関係ない内容になっている。のに、どうしてピンとこなかったのかなぁ。なんか大事なことを読み落としたみたいで悔しい。]]>
      
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   <title>「くたばれ!専業主婦」石原 里紗</title>
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   <published>2007-12-04T12:53:31Z</published>
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   <summary> 前巻「ふざけるな専業主婦」に寄せられた専業主婦からの反論に対する筆者による再反...</summary>
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前巻「ふざけるな専業主婦」に寄せられた専業主婦からの反論に対する筆者による再反論集。ちなみに前巻の主張は「専業主婦なんてゴミ。居なくなれとまでは言わないけど、偉そうに主張するな。黙ってろ」だそうです。

でもこれ、そもそも議論がかみ合ってないんですよね。筆者の言う働くとは「報酬を得ること」だそうです。それはそれで疑問があるんだけどそれは置いといて、とりあえず筆者がそう主張することは個人の主張だから別に構わないです。一方、専業主婦と言われる人たちの主張は「報酬の有無とは関係ない」ですから、それぞれ意見が違うわけです。どっちが正しいというわけでもないので、お互いの主張を一通り述べたら、あとは他の人がどう思うかだけの話。なのに筆者が「私の方が正しいのよぉ」と言ったってしゃーないわけで。

また、筆者は繰り返し専業主婦に居なくなれとは言わない、ただ黙っていろというだけだと書くんだけど、でも言葉の端々に「居なくなってしまえ」という意識が滲み出している。一見正論っぽいことを書いていながら、実際にはかなり醜い本心が出てしまっている構図は「サエない女は犯罪である」に似ているなぁと思ったら、あとがきによると両書の筆者は友達同士だそうである。類は友を呼ぶのか。そして両書ともに同じ出版社の同じ文庫に収録されているわけだから、そもそも編集部の出版方針がそういう方向なんだろうね。

さて筆者の主張によると、働くとはすなわち対価としての報酬をもらえることだそうです。報酬がもらえればどんなにくだらないことでも尊い労働であり、報酬がもらえないならどんなに素晴らしいことをしていても家畜以下の生ゴミだそうです。きっと筆者にとってはマザーテレサなんかも生ゴミなんでしょう。凄い人だ。マザーテレサまで出さなくても、老親を介護している人なんてのはどこからも報酬が出てませんよね。筆者はそういう事情があって働かない人は仕方が無いなんて言ってるけど、一方で無報酬は生ゴミなんだからそういう人も生ゴミやん。主張に一貫性が無いやん。

さて労働と報酬の関係について。会社で考えると、会社には総務や経理と言った間接部門と呼ばれる部門があります。一般にこれらの部門が売上や利益を上げることはありません。だからと言ってこれらの部門が不要なわけではありません。総務のお局様が威張っていて社長ですら頭が上がらないなんて会社に未来はありませんが、一方で間接部門の人が営業などのスタッフに対して「あなたのおかげで私たちは暮らせてます。私たちは家畜以下の生ゴミです」なんてへつらっている会社にも未来はないでしょう。それぞれの部門が果たすべき役割を果たすから会社は機能するんです。要するに報酬の有無と労働の価値は別に関係ないんです。そんなことを言っていたのは成果主義だなんて言っていた会社で、そういった会社は実際にはどんどん疲弊していってしまいました。

そして、この会社の構図はそのまま家庭にだって当てはめることが出来るんですよね。別に専業主婦は家畜でも生ゴミでもない。もちろん威張ることもないけれど。お互いに自分たちの与えられた役割を果たすことで社会は成り立っているわけで、そこに報酬の有無は関係ない。]]>
      
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   <title>「そこまでやるか！」日本経済新聞社</title>
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   <published>2007-12-02T09:38:59Z</published>
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   <summary> 「あなたの隣のスゴイヤツ列伝」とサブタイトルがついている。身近なすごい人を取り...</summary>
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「あなたの隣のスゴイヤツ列伝」とサブタイトルがついている。身近なすごい人を取り上げている。一人あたり３ページほどだから読みやすいけど、逆に深みが無くて物足りなくもある。

なんというか。私が普段から考えている事だけど、世の中の大抵の事は「手を尽くす」ということをすれば相当なレベルに達する事が出来る。才能なんてものが無くても。手を尽くすだけで、凡人からは当然のこと、並の天才くらいなら軽く凌駕できると思う。ただ、実際にはほとんどの人はそこまで突き詰める事が出来ない。この本に出てきた人たちは、そういう手を尽くす事が出来た人たちなんだろうなぁと思う。

最後に。出典が日経新聞だから当然と言えば当然だけど、ほぼ全員がビジネスに関するスゴい人。この人たちからビジネスの種を読み取ってください的な取材班の意図が透けて見えるようでちょっとうんざりしないでもない。]]>
      
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   <title>「おばあさんの飛行機」佐藤 さとる</title>
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   <published>2007-11-23T15:54:28Z</published>
   <updated>2007-12-01T04:00:30Z</updated>
   
   <summary> 国際政治ルポの次が児童向けファンタジーというのは、我ながらどういう組み合わせな...</summary>
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国際政治ルポの次が児童向けファンタジーというのは、我ながらどういう組み合わせなんだと思わなくもないけど、幅広い分野の本を読むのもこの企画の目的だから、これはこれでいいかな。

さて児童ファンタジーを今更38歳にもなったおっさんが読む。読み始めは、これは流石にきついかなぁと思ったけど、意外と三篇目のタイトルにもなっている「おばあさんの飛行機」で結構入り込めた。以後、短編集で比較的読みやすいということもあり、すんなり読むことができた。

児童向けファンタジーをこれだけ読めたというのは自分なりに驚きではあるんだけど、よくよく考えると素地はあるわけだ。一つは自分の子供によく絵本を読み聞かせていること。子供は3歳なんで、この本よりもより低年齢向けの絵本を読み聞かせていて、それも最近はだいぶ自分でも楽しめるようになってきている。だから、むしろこの本の方が読みやすいとも言える。

もう一つはこの本を手に取った理由でもあるんだけど、私自身が小学生の頃に佐藤さとるさんの本は好きでよく読んでいたこと。どんな内容だったか全く覚えてないけど、著者だけはしっかり覚えていたな。そういえば連想して思い出したんだけど、椋鳩十さんの本もよく読んでいたっけ。こっちも今度探してみようと思う。]]>
      
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   <title>「イラク 戦争と占領」酒井 啓子</title>
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   <published>2007-11-20T15:50:55Z</published>
   <updated>2008-03-04T01:35:23Z</updated>
   
   <summary> イラク戦争と戦後統治についてのルポ。 イラク戦争について一般向けのニュースくら...</summary>
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イラク戦争と戦後統治についてのルポ。

イラク戦争について一般向けのニュースくらいしか追っかけていない私にとって以前から疑問だったのは次の二つ。
・なぜアメリカはイラクを選んで攻め込んだのか
・なぜイラク国内で反米テロが続くのか。

アメリカがイラクに攻め込んだ大義名分としては大量破壊兵器に関して国連決議に従わないからだが、本書でも詳しく書かれているとおり、フセイン政権は必死になって国連決議に従おうとしており、アメリカは最後には国連を無視して戦争に踏み切っている。そこには当然大義名分とは別の本当の理由があるんだろうと思われる。一説にはイラクの石油利権とも言われていて、それも理由としてあるだろうけれど、それだけでは理由として弱いと思う。文明の衝突論的にキリスト教文化とイスラム教文化の衝突という解釈もあるが、本書を読んで初めて知ったんだけどフセイン政権はイラク国内ではむしろイスラム教は弾圧してきたとのこと。ならば単純なイスラム世界との対立というのも成り立ちにくい。

本書を読んでの私なりの理解としては、アメリカとしては世界の火薬庫である中東をなんとか収めたい。そしてできることならこれらの国に西欧型社会システムを導入したい。現状ではあらゆる言語が通用しない状態だから。また中東が平和になれば、この地域を主な活動拠点にしている国際テロリストの活動にも制限を与えることができ、テロとの戦いという意味でも有意義である。ってな感じなんだろうか。

もう一つの疑問は反米テロがやまないこと。そもそも彼らはなぜ米軍を攻撃するのか。そして、彼らの正体はなんなのか。当初、私の乏しい理解ではフセイン政権の残党が主力だと思っていました。本書はフセイン捕縛の時点までで終わっているけど、その後フセインは処刑されたため、フセイン政権の再興は事実上不可能になった。私はこれで反米テロはなくならないまでも収まっていくんじゃないかと思ってたんだけど、実際にはそうではなかった。ということは彼らは少なくともフセイン政権の残党ではないということになる。

本書はイラク戦争に関するアメリカの様々な問題点を指摘している。一つは開戦に至るプロセス。実質、国連無視による一方的な侵略戦争であること。これはアメリカ軍だけの問題ではないけど、戦争自体が比較的早期に終結してしまったこと。本当はアメリカ軍の侵攻に伴い、イラク国内の反政府勢力が合流して一緒にフセイン政権を倒すのが理想的なシナリオらしい。そのほうが戦後政治がスムーズに進むからね。アメリカ軍もそれを期待していたんだけど、その間もなく戦争が終わってしまったことと、もう一つ重要なのはかつて湾岸戦争時にそうした反政府勢力が打倒フセイン政権で立ち上がったときにアメリカ軍がこれを支援しなかったという歴史があるそうな。つまり、イラク国内の反フセイン勢力からアメリカ軍は信用されていない。これが戦後統治を難しくしている面もあるそうな。

フセイン政権に追われて海外に亡命したイラク人知識人は多い。こういった人たちはアメリカ政府と密に連絡をとりあっていて、戦後統治においても主役を務めているわけだけど、彼らはなぜか亡命時代にイラク国内に活動基盤を持って居なかったため、現在のイラクでは「一度は国を捨てたよそ者」状態になっているらしい。これはアメリカとは関係のないイラク特有の事情ではあるけれど、これも戦後統治を難しくしている。

結局、本書でも誰が反米テロを行っているのかは分からないと記されている。おそらく、単独の組織もしくはイデオロギーではなく、複数の複雑な思惑が重なってテロが行われているんだろう。結局は、東西冷戦のように、もしくはキリスト文明とイスラム文明のような単純な対立構図では説明のつかない、複雑に入り組んだ時代になってしまったということなんだろうか。]]>
      
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   <title>「ベーシック マーケティング入門」相原 修</title>
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   <published>2007-11-11T01:47:40Z</published>
   <updated>2008-05-06T14:08:01Z</updated>
   
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以前、仕事の資料として買った本。マーケティング関連の企画だったんで、知識無しではいかんということで、とりあえず泥縄に勉強するために買ってきたんだけど、企画自体がポシャってしまって積読になっていたのでした。

さて、私は当然にマーケティングなんて素人なんだけど、では全く何も知らないかと言うとそうでもない。意外と世間で企業の手の内をばらすような情報は満ち溢れているので、マーケティングについても聞きかじりの知識はそれなりにあるわけだ。だから、本書にしても序章のあたりは当たり前のことばかり書いてあって正直退屈。ただ、体系だって知っているわけではないのでこういう本を読む意味は充分にある。

本書を読んで全体的な感想としては、よく出来ているなぁと思う。それは私が知識が無いからかもしれないけれど。入門と銘うってあるだけあって、広く浅く初学者向きに書き下ろされている。ただ、新書サイズで170ページほどの分量なので、テキスト量ははっきり言って多くない。読みやすいという点でもあるんだけど、各分野の話の掘り下げや説明が少ないから、この本だけで学ぼうと思うと少々苦しいように思う。講義のテキストとして使用するとピッタリではなかろうか。

各論についてはまだ勉強不足なんだけど、本書を読んでマーケティング全体について認識を新たにした点は、意外と経営活動の全般に関わってくるんだなと言うこと。マーケティングというとマーケティングリサーチをすぐに思い浮かべてしまうし、またその実施も商品企画段階で行われるような気がしていたんだけど、実際には企画だけではなく製造、流通、販売の全ての過程においてマーケティングが関わってくる。そういう意味では経営学の一部なんだね。マーケティングを含めた判断材料を総合的に判断するのが経営であると。ちょっと視野が広がった気分がする。それだけでも本書を読んでの大きな収穫。]]>
      
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   <title>「マンガ 老荘の思想」蔡 志忠</title>
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   <published>2007-11-05T08:06:41Z</published>
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私という人間は全くもって教養の無い人間で、老子荘子と言っても名前を聞いた事があるくらいで、実際にどんな思想を持っていたか全く知りません。多少なりともそれを知れればなぁということと、マンガになっているなら読みやすいだろうかということでこの本を手に取りました。

が、読んでみて結果的にはいまいち。マンガだから読みやすいかというと残念ながらそうではない。実際には内容のほとんどが文字で記され絵の部分は挿絵に近い状態なので、結局は文章を読まなきゃしょうがない。しかし、一つのエピソードに1ページか2ページくらいしかないのでかなり端折って書かれていて、そこから内容を読み取るのはかなり難しい。元々、老荘の思想にある程度知識がある人が読むといいのかもしれないけど、全くの初心者にはこれでは辛かった。ただ、そのなかでも多少なりとも自分なりに読み取れたところをいくつかメモ。

非常に大雑把にとらえると老荘の思想というのは個人主義なんだろうか。個人としていかに完成するかが主眼で集団や社会に対してはあまり興味が無いようである。解説文によれば孔子に対するアンチテーゼという面もあったそうなので、政治学/社会学的な面のある儒学に対して個人主義ということなんだろうか。別にそういう考え方が悪いわけではないが、孔子の思想に対して小人の思想に思える。

荘子は特にこの傾向が強いようで、その内容はまるで仙人になる方法を説いているかのようだ。人間の持つ欲を捨てて生きれば楽に楽しく生きられるのにというのは、まあ分からない考え方でもないんだが、それでいいのかとも思う。万人が老荘のような人になれば世界が理想郷になるという思想なのかな。自我の無い酔人や嬰児が理想とまで言ってしまうと、人間の知恵の否定になりはしないか。「あっかんべェ一休」で一休が養叟から「解脱した者が獣と変わらぬではないか」と言われていたが、まさにそれだ。仏教の範疇で考えるならまだ理解することは出来る。人間の欲が罪を犯すという仏教からすれば、ある意味自我は無い方がいいとも言える。だが、老荘は仏教とは関係ないし、輪廻を否定しあくまでも現世についての思想に思えるんだが。その点、老子はまだ多少は国家のあるべき姿も説いている分だけ俗であるとも言えようか。

一番解釈が気になるのはゴンズイの木/土地神の木のエピソード。役に立たない木だから切り倒されずに済み木として長らえたというのは処世術としてはありだとは思うけど、万人がそれでいいのか。たとえ切り倒されようとも役に立つ事を望むのは行けない事か？そうして名を残す事を希望する人だってたくさん居るだろう。また、役に立つ故に切り倒される木もあるからこそ世の中が成り立っているんじゃないだろうか。そうした人々の犠牲の上に、老荘のみが安穏とした生涯をおくるとしたら、それはひどい話のような気がする。]]>
      
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   <title>「化学に魅せられて」白川 英樹</title>
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   <published>2007-11-02T08:10:23Z</published>
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電気を通すプラスチックを発見してノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏の講演/対談/原稿などをまとめた本。全部で5章からなるけど、原稿集という性格から1冊の本として系統だっているわけではなく、章によっては同じような話が繰り返し書かれている部分も多い。整理し直して伝記としてまとまっている方が読みやすいんだけど、新書なんだから別にこれでも読むのが大変というわけではない。

さて、私は一応理系なんだけど化学は実はさっぱり。特に有機化学はほとんど授業を聴いてなかったので知識としては無いに等しい。だもんで、本書でも導電性高分子の合成法や組成などの説明ははっきり言ってさっぱりわからん。情けないけど、しゃーないわな。

じゃ本書を読んで何も分からなかったかというと、まあそこまで絶望的でもない。試薬の量を間違えた偶然から発見に至った経緯や、ペンシルバニア大学に渡って研究した話、大学や研究室の様子などは読み物的に読んでもおもしろい。

ただ、なんと言ってもすごいなぁと思うのは、本書が出版された時点で白川氏は60をとおに過ぎているのに、まだこれから新しいテーマに取り組もうとしている姿勢。研究者ってのはある意味普通の人間とは違うもんだし、なかでもノーベル賞受賞者を常人と比べるのは間違ってるけど、それにしてもその意欲とバイタリティはすごいね。]]>
      
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   <title>「山が消えた」佐久間 充</title>
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   <published>2007-10-12T08:12:27Z</published>
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   <summary> 主に千葉県内の山砂採取場および産廃処理場を丁寧に調査したレポート。 そういえば...</summary>
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主に千葉県内の山砂採取場および産廃処理場を丁寧に調査したレポート。

そういえば、私の通っていた大学はとある山の上にあったんだけど、そこに通う道路には毎日たくさんのダンプカーが走っていた。当時は特に何も考えなかったんだけど、本書を読んでみると、あれは山のどこかに採取場か産廃処理場があったんだろうねぇ。

本書にレポートされている通り、豊かな自然であった山をまるごと削り取ったり、産廃を捨てて谷を埋めてしまったり。さらには産廃による汚染で井戸水が使えなくなったり。毎日通るダンプによる公害や事故などなど。確かに悲惨であり問題ではある。これはこれで丁寧で重要なレポートだけど、出来ればその自然破壊が自然全体としてどれくらいの影響度であるかというのも論じて欲しかった。自然破壊というだけなら、山に入って花を摘んでくるだけでも自然破壊には違いない。その破壊が自然全体にどれくらいの影響を与えるかも重要な論点だと思う。

本書で初めて知ったんだけど、産廃処分場では埋め立てて終わりではなくて、その後の管理も必要とのこと。それも数十年スパンで。考えてみれば当たり前の話しで、本書に出て来たトップ企業はそれに真剣に取り組んでいるんだけど、逆に言えば多くの産廃業者はその点についてそれほど真面目に考えてないってことだよな。要するに埋めたら埋めっぱなし。でも、それは仕方が無いというか単純に営利を追求するとそうなってしまう。ならば規制を掛ければなんだけど、問題は途中で業者が倒産してしまえばどうしようもなくなるんだよな。普通の商売は役務の提供が完了した時点でお金が支払われるけど、産廃業者の場合は途中で金が支払われてしまう。この矛盾を解決しないと、産廃業者の問題は根本的に解決しないんじゃないだろうか。

解決は無理でも改善する方法としては環境税などを作って産廃料金を高くする方法がある。本書では環境税は金さえ払えば捨て放題になるから意味がないとあったけど、そんなことはないはず。税には市場の調整弁としての機能もあり、環境税を十分に高くすれば排出側の企業は割に合わなくなるから排出の抑制が期待されるはずである。

完全な解決ではないけど、例えば保険会社が倒産すると業界が既存の保険契約をある程度保証する仕組みがある。似た仕組みを導入して、産廃業者が倒産した場合、業界団体がその後の管理を肩代わりするような方法はどうだろうか。こうすれば業界団体は会員企業が倒産しなように監視、指導することも期待出来て一石二鳥である。]]>
      
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   <title>「21世紀の狼たちへ」落合 信彦</title>
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   <published>2007-10-03T15:10:23Z</published>
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落合信彦氏と言っても名前を知ってるだけで、どういう人かよく知らない。せいぜい「スーパードライのCMでヘリから降りて来た人」くらいの認識。

内容は自身の体験談をベースにしたメッセージ集といった感じかな。ただ、ジャーナリストのわりにはあまり調べて書かないようで、枝葉末節の部分とはいえツッコミどころは多い。「コロンブスは世界の端は滝になっていると言われている時代に航海に出た」とか「老人はテレビばかりみていて頭を使わないからボケる」とかとか。筆者が言う世界と言っても実際にはアメリカのことばっかりやんとか、筆者が言うほどアメリカは何もかも素晴らしくないと思うし日本も何もかもダメでもないと思うし。読後、ちょっと気になってググってみたら経歴詐称疑惑とかもあるみたい。本文自体もツッコミどころなのか。

だいたい、私は全力投球で悔いなく生きるってのは眉唾ものだと思ってる。巻末で筆者がインタビューしているアイルトン・セナ氏にしても、もちろん類いまれなる才能の上に努力を重ねた人ではあろうが、それでも自身の怠惰に自己嫌悪に陥る事もあっただろう。別にセナを馬鹿にするわけではなく、どんなに優れた人であろうとも人間である限り完璧ではあり得ないということ。完璧であり得ないのをスタート地点にどこまで完璧を目指せるかが人間の価値だと思う。だから、筆者が「俺は常に全力を尽くして生きて来た」なんていうと、「えー」と思ってしまうわけだ。

とまあ悪口を書いてしまったけど、実はこういう無駄に熱い文章は嫌いではない。とういかちょっと好きではあるんだわな。読んでる間はちょっと体温高くなるし、読了直後は「よし、俺もいっちょやったるか」という気になれるし。実際には10分もすれば忘れてしまうし、いっちょやることはないんだけども。それでも、心の底にこの本が少しでも残り、多少なりとも影響を与えるのなら、価値はあると言えると思う。]]>
      
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   <title>「大阪学」大谷 晃一</title>
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   <published>2007-09-25T10:22:50Z</published>
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違法駐車やお笑いから、古代からの歴史、西鶴や近松といった文学などにより大阪人の反権威、合理性、本音重視といったメンタリティを説明する。まあ、それ自体は面白いことは面白い。広い範囲の知見を並べているのはそれだけでも面白いし、一般に大阪弁と言われているものが河内弁をベースにさらにお笑いに特化させたものであるというのは、似たような事を考えた事があるだけに我が意を得たりとも思う。

一方、不満がないでもない。大阪の特徴を述べるにあたって東京と比較するというのは構わないのだが、その結論として「だから大阪の方が優れている」とするのはやり過ぎだろう。そこで優劣を言ってしまっては主観の話しになって学問ではなくなってしまう。それに、大阪人である筆者が大阪を褒めたところで、それじゃ単なる身贔屓に過ぎない。むしろ、そうして東京をおとしめようとする姿勢は、大阪人の典型的な東京コンプレックスの現れとしか見れなくなってしまう。

ちなみに私は大阪のお隣の神戸で生まれ育ち18年過ごし、その後大阪で10年過ごしたあと、東京に引っ越して10年である。自分なりに大阪も東京も両方それなりに分かるつもりでいるんだが、その私の意見としては、東京は筆者が言うように大阪を意識なんて全くしてない。都市としての東京がライバル意識を持っているとしたら、その相手はニューヨークやロンドンなどであろう。確かに江戸時代であれば江戸と大坂は政治と経済のそれぞれの中心地として日本の二大都市であった。しかし明治以降経済の中心も東京に移り、大阪は今では単なる地域の中核都市でしかない。交通と情報の発達によってグローバリゼーションが進んだ結果、国内での都市の競争は終わり、国家間の競争の時代に移っているのである。外国の例で言えばオーストラリア。1901年の独立当時、首都の座を二大都市であるシドニーとメルボルンで争った結果、その中間地点にキャンベラという新都市を作る事で決着した。しかし、それから100年。どういう理由でかは知らないが、オーストラリア第一の都市と言えばシドニーであり、メルボルンは州都の地位に落ち込んでしまっている。大阪はまさにこのメルボルンと同じ境遇であろう。そういう時代において「大阪は東京のライバルとして」とか「東京は大阪を常に意識している」なんてのは全くもって妄想に過ぎないと思う。そうした妄想を生み出す東京コンプレックスが大阪人の最大のメンタリティであるという事を本書全体の行間を通して表しているという意味では、これはまさに大阪学であると言えるかもしれない。

最後に本筋とは全く関係ないけど、ちょっと看過できなかったこと。巻末の難波利三氏による解説のなかに「子供を家に閉じ込めて自閉症になった」とある。よくあるけれど、見過ごせない誤解。自閉症は先天的な脳の機能障碍であって、後天的な環境によって発病するものではない。]]>
      
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   <title>「博士の愛した数式」小川 洋子</title>
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   <published>2007-08-18T10:54:20Z</published>
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結構ヒットしたし映画にもなった有名な本ですね。博士、私、ルートの心のふれあいを描いた感動のストーリー。なんですが、実は私はこの手の心のふれあい系小説って苦手なんですよね。別につまんなかったわけではないんですが、読んで「ああ、いいお話ですね。まる」で終わってしまうと言うか。だったら別に読まなきゃいいんだけど、それでも読んだのはもちろん数学・数論が大きく取り扱われているから。

一応、数学・数論ファンを自認している私としては、数学ネタの一般小説があるという事自体がすごい。しかもそれがヒットしたというのはもっとすごい。これをキッカケに数学に興味を持つ人が増えるといいなと思うし、そこまでいかなくても数学に対して多少なりとも世間での理解が進むといいなぁとも思う。そういう意味では筆者は数学界に対してすごく大きな仕事をした可能性もあるんじゃないだろうか。

本書を読んですごいなと思うのは、数学をちゃんと理解して書かれていること。それも単に勉強として理解しているだけじゃなく、数学が好きな人がこういうのが好きだったり美しいと感じたりする点をきちんと描いている。これは多分筆者自身が相当に数学の事を好きでないと書けない。もし本書を書くための取材を通してここまで数学を好きになったんだとしたら筆者はほんとにすごいなと思う。

一方、気になるのは博士の脳の障害について。結論としては、言っちゃ何だがストーリー上の都合のための設定にすぎないわけだから矛盾があったところで別に構わないと言えば構わない。それでも気になってしまうのは、私はどちらかというと設定を読む読書をするタイプだから。

博士は47歳のときに遭った交通事故の後遺症で記憶が80分しか持たない。だから私がお使いにでて80分以上経って帰宅するとはじめましてからやり直しになる。それはいい。では出かけずに家の中で過ごしている場合に80分以上経ったらどうなるんだろう。小説の中ではこの場合には普通の人と同じように過ごしているけど、やはり80分より前の記憶は消えてしまうんだから、80分以内おきに自己紹介をやり直してないとやっぱり「あんた誰？」にならないとおかしいと思うんだけど。

それよりもっと不思議なのは、博士は毎朝47歳の事故の翌日として起床する。そして自分の書いたメモにより自分の障害を初めて知ると言う絶望を毎朝繰り返す。これはよくわかる。自分の障害を知った博士は、今の自分を47歳として認識するのだろうか。だとしたら64歳の老人と化してしまった自身との矛盾はどうするのだろう。何より、事故まで勤務していた研究所に出勤しようとしないのはなぜだろう。これらの点から考えると、博士は障害について知るとともに、自身が研究所を退職し17年経った老人である事も認識するのだろう。だとしたら、なぜ博士は「今日は江夏は登板するだろうか」などと言うのだろう。新聞紙上でしか野球を知らない博士だが、事故に遭うまでは普通の人だったわけだ。まさか17年間もずっと江夏が現役の投手であるなどとは考えないだろうと思うのに。

物語の最後では博士は障害が進み、ついには1分も新たな記憶が出来なくなる。これは私の勝手な想像だけど、思考するためには現在を記憶する記憶力が必要になると思っている。だから、完全に新たな記憶が出来なくなった博士は思考自体が出来なくなるんじゃないかと思うんだが。しかし、博士は普通に会話をし、時にはルートとキャッチボールを楽しむなど、まったくもってそれまでと変わらない風である。

つまるところ、博士の障害というのは現実にあるものなんだろうか。それとも筆者が創作の都合上作り出した作り物なんだろうかというのが気になるわけです。誰かその辺のところを説明してたりしないかなぁ。

(2007/8/23追記)

とある方に教えていただいたのですが、博士の障碍はデボラ・ウエアリングという方がモデルになっているそうです。デボラ・ウエアリングさんは記憶がなんと7秒しかもたない。博士よりはるかに大変。]]>
      
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