BOOKOFFで100円

BOOKOFFの100円棚で思い向くままに手にとった本を乱読した読書記録。ただし読書量は少なめ。

「そこまでやるか!」日本経済新聞社

[2007年12月02日(日)]

「あなたの隣のスゴイヤツ列伝」とサブタイトルがついている。身近なすごい人を取り上げている。一人あたり3ページほどだから読みやすいけど、逆に深みが無くて物足りなくもある。

なんというか。私が普段から考えている事だけど、世の中の大抵の事は「手を尽くす」ということをすれば相当なレベルに達する事が出来る。才能なんてものが無くても。手を尽くすだけで、凡人からは当然のこと、並の天才くらいなら軽く凌駕できると思う。ただ、実際にはほとんどの人はそこまで突き詰める事が出来ない。この本に出てきた人たちは、そういう手を尽くす事が出来た人たちなんだろうなぁと思う。

最後に。出典が日経新聞だから当然と言えば当然だけど、ほぼ全員がビジネスに関するスゴい人。この人たちからビジネスの種を読み取ってください的な取材班の意図が透けて見えるようでちょっとうんざりしないでもない。

「くたばれ!専業主婦」石原 里紗

[2007年12月04日(火)]

前巻「ふざけるな専業主婦」に寄せられた専業主婦からの反論に対する筆者による再反論集。ちなみに前巻の主張は「専業主婦なんてゴミ。居なくなれとまでは言わないけど、偉そうに主張するな。黙ってろ」だそうです。

でもこれ、そもそも議論がかみ合ってないんですよね。筆者の言う働くとは「報酬を得ること」だそうです。それはそれで疑問があるんだけどそれは置いといて、とりあえず筆者がそう主張することは個人の主張だから別に構わないです。一方、専業主婦と言われる人たちの主張は「報酬の有無とは関係ない」ですから、それぞれ意見が違うわけです。どっちが正しいというわけでもないので、お互いの主張を一通り述べたら、あとは他の人がどう思うかだけの話。なのに筆者が「私の方が正しいのよぉ」と言ったってしゃーないわけで。

また、筆者は繰り返し専業主婦に居なくなれとは言わない、ただ黙っていろというだけだと書くんだけど、でも言葉の端々に「居なくなってしまえ」という意識が滲み出している。一見正論っぽいことを書いていながら、実際にはかなり醜い本心が出てしまっている構図は「サエない女は犯罪である」に似ているなぁと思ったら、あとがきによると両書の筆者は友達同士だそうである。類は友を呼ぶのか。そして両書ともに同じ出版社の同じ文庫に収録されているわけだから、そもそも編集部の出版方針がそういう方向なんだろうね。

さて筆者の主張によると、働くとはすなわち対価としての報酬をもらえることだそうです。報酬がもらえればどんなにくだらないことでも尊い労働であり、報酬がもらえないならどんなに素晴らしいことをしていても家畜以下の生ゴミだそうです。きっと筆者にとってはマザーテレサなんかも生ゴミなんでしょう。凄い人だ。マザーテレサまで出さなくても、老親を介護している人なんてのはどこからも報酬が出てませんよね。筆者はそういう事情があって働かない人は仕方が無いなんて言ってるけど、一方で無報酬は生ゴミなんだからそういう人も生ゴミやん。主張に一貫性が無いやん。

さて労働と報酬の関係について。会社で考えると、会社には総務や経理と言った間接部門と呼ばれる部門があります。一般にこれらの部門が売上や利益を上げることはありません。だからと言ってこれらの部門が不要なわけではありません。総務のお局様が威張っていて社長ですら頭が上がらないなんて会社に未来はありませんが、一方で間接部門の人が営業などのスタッフに対して「あなたのおかげで私たちは暮らせてます。私たちは家畜以下の生ゴミです」なんてへつらっている会社にも未来はないでしょう。それぞれの部門が果たすべき役割を果たすから会社は機能するんです。要するに報酬の有無と労働の価値は別に関係ないんです。そんなことを言っていたのは成果主義だなんて言っていた会社で、そういった会社は実際にはどんどん疲弊していってしまいました。

そして、この会社の構図はそのまま家庭にだって当てはめることが出来るんですよね。別に専業主婦は家畜でも生ゴミでもない。もちろん威張ることもないけれど。お互いに自分たちの与えられた役割を果たすことで社会は成り立っているわけで、そこに報酬の有無は関係ない。

「なぜ仕事するの?」松永 真理

[2007年12月08日(土)]

どうもいまいちピンとこない。私には女性エッセイストの文章は合わないんだろうか。これで合わなかった女性によるエッセイは4人目だ。そういえば本書の解説はやはり私がピンとこなかった群ようこ氏だというのは偶然なのかね。

ただ、合わないと言っても松永真理氏-群ようこ氏のラインと石原里紗氏-笠原真澄氏のラインは明確に違うよな。前者はほんとに感性の違いによるものだと思うけど、後者は品性の問題だと思うから。あーまあそれはいいか。

そういえば同じ松永真理氏の本でも「iモード事件」は面白かった記憶があるな。あれはエッセイと言うよりはドキュメントだから、また違うとも言えるか。

さて本書。本書は筆者が仕事をするなかで感じた様々なことをまとめた本。読んでて面白いなと思ったのは、松永真理氏と言えば日本を代表するキャリアウーマンと言って過言ではない。そんな人は人生の全てをテキパキと進めてきたんじゃないかと思ってしまうけど、意外とモラトリアムがあったりコンプレックスがあったり、本人の告白を信じる限り少なくとも大学卒業時点まではどこにでも居る平凡な学生だったこと。それがその後ぐんぐん伸びていったのは、本書にあるような様々な視点で仕事について考えていったからなのかねぇ。

本書を書いたとき筆者は30代の後半。実は今の私も同じ年代であり、そして現実に今仕事について色々悩んでいるところはあるんで、本書は自分にとってピッタリの本ではないかと期待して読んだ。んだけど、残念ながらピンとこなかった。本書は多少は女性向けの内容も含まれてはいるものの、全般的には男女関係ない内容になっている。のに、どうしてピンとこなかったのかなぁ。なんか大事なことを読み落としたみたいで悔しい。

「映像とは何だろうか ― テレビ制作者の挑戦」吉田 直哉

[2007年12月11日(火)]

テレビ創世記から活躍した筆者による実体験を交えた映像に関する考察。

ちなみに筆者は元NHKディレクター。映像に関わる仕事としては王道中の王道。一方、実は私も8年ほど映像に関わる仕事をしていたことがあります。といっても映像業界の中では傍流のCG制作プロダクションで、さらに傍流のコンピュータエンジニアとしてだけど。だから映像に関しては決して素人ではないという自負はあるんだけれど、正直言って門前の小僧程度のものでしかないから、こういう王道の人に対しては引け目を感じてしまう。だからまあ、改めて素人のつもりで映像とは何かということを改めて学んでみたいなと思って本書を手に取った。

本書の前半はなかなか分かりやすいし、素直に面白い。主にドキュメンタリーを撮影する経験談が中心だけど、全てを撮影できるわけではないから映像が真実の全てでは無いという点であったり、映像が一人歩きしてしまう点などは、よく理解出来る。

エピソードの中で面白いなと思ったのは、初期の撮影現場においてカメラを移動させるたびに対象物までの距離を巻き尺ではかってピントを合わせていたところ、ついには「いちいち邪魔するんじゃねえ」と怒られてしまったという話。ここで面白いのは私の所属していたCGプロダクションのディレクターから聞いた話。ずっと時代は下がって1990年頃のこと、実写とCGを合成するために撮影スタジオでカメラがセットされるたびにカメラ位置を計測してたところ、実写撮影班から邪魔者扱いされたとのこと。かつては自分たちが同じことをして邪魔者扱いされていたのに、立場が逆転したんだね。なんか皮肉な関係。

面白いエピソードだなと思ったのは他にもある。日露戦争時のフィルムを発掘したときに、よく見ると舞台裏がちょこっと見えていたりする。つまり、ドキュメントと思ったらやらせフィルムだったと。これについて筆者は、やらせ映像であるという事を知っている人が居なくなったらこれが真実であると思われてしまうのではないかと懸念している。個人的にはそれはそんなに心配する事はないと思う。別にこれは映像素材だけに限った話ではなく、古文書でもなんでもあり得る事。そういうとき歴史家は複数の史料をつきあわせる事によって史実を推測するという作業を行っていく。映像素材も史料のひとつに過ぎないわけだから、映像だけが特別な道をあゆむことはないと思う。

この辺まではまだついていけるんだけど、後半になって難易度は一気に加速度を上げる。廃墟とかモンタージュとか割り符とか、一度通読しただけでは全然理解できんかった。悔しいんで、またいつか読み返してみたいと思う。

それにしても、今現在映像を制作している人で、映像とは何かをここまで真剣に考えている人はどれくらい居るだろうか。筆者の場合は映像が何であるかが全く分からない時代に手探りで制作してきたからこそそれを考えることが出来たのは確かだろう。既に方法論は確立され、フォーマットに則っていればベルトコンベアー的に映像が次々制作できてしまう現代において、そんなことを考えるきっかけすらないのかもしれない。私がCG制作プロダクションで働いていた時代はCG映像が黎明期だったからCGとは何であるか、何ができるかについては多少なりとも考えることはあった。でもそんな我々にしても映像自体については既に思考停止していたような気がする。それを時代のせいだけにするのは卑怯かもしれないけれど、筆者はある意味幸せな時代を過ごせたのではないかなとも思う。

「オトナ語の謎。」糸井 重里

[2007年12月27日(木)]

糸井重里氏が企業社会で使われている独特の言い回しをオトナ語としてまとめているというのは知っていたけど、具体的には読んだことはなかった。元々はウェブサイトにあったコンテンツをまとめた本。

読んでると確かにニヤっとさせられるところはある。まあ面白いといえば面白い。ただ、分量が多い。300ページ以上もまとめて読んでると、正直お腹いっぱいになってしまう。ウェブサイトなりメールマガジンなりで1日1ネタ程度で披露されるとちょうどいいんだろうけれど、まとまってるとしんどいなぁ。

ただ、まとまっていることで資料性は高くなる。前書きに新社会人向けの教科書としてもとあるけど、現代民俗学(?)的な資料としての価値もあると思う。

読んでて気になるのは、解説文のほとんどがちょっと皮肉めいていること。読んでいるのも書いているのもオトナ語の使い手だから自嘲めいているんだけど、これだけ繰り返されると少々嫌気がさしてくる。

個別のネタでちょっと気になったこと。「名刺を切らしていまして」は別に名刺を忘れたわけではない。それは名乗っている会社の所属ではなく、実は子会社だったり下請け会社の人だということ。言われる側もそれは承知していて、相互に暗黙の了解がそこにはある。こんなことを知らないということは、糸井氏もしくはネタを出した人は、そういう他人の看板で仕事をした経験がないんだろうなぁ。それはそれで幸せなことで羨ましいことではあるんだけど。

もう一つ。「まえかぶ」「あとかぶ」が出てきたけど、会社には他にも種類があるぞ。会社法になって厳密にはなくなったけど有限会社だと「まえゆう」「あとゆう」もあるべきじゃないか。合名/合資/合同だと「まえめい」「あとめい」「まえし」「あとし」「まえどう」「あとどう」のはず。法人は会社以外にもまだまだあるぞ。財団法人だったら「まえざい」「あとざい」、医療法人は「まえい」「あとい」、宗教法人で「まえしゅう」「あとしゅう」もあってしかるべきではないか。いやないか。

それにしても「大人語」ではなく「オトナ語」か。さすが名コピーライターだなぁ。

おわりに

[2007年12月31日(月)]

これでもう二度と更新しないというわけではないのですが、一応2007年の目標だったので年末で一旦締めのエントリーを残しておきます。(実際に書いているのは年が明けてからなんですけどね)

2007年の目標として幅広い分野の本をとにかく読むというのを掲げました。具体的にはBOOKOFFの100円棚から価格を気にせずとにかく気になったタイトルの本を選んで買って読んでみると。「はじめに」には書いてませんでしたが、実は冊数にも一応のノルマを設けていて月に5冊、年間に60冊としていました。

で、その結果ですが、一応それなりに幅広い分野の本には目が通せたかなとは思います。この企画を思いつかなければ多分手にしなかったであろう本を手に出来たのは大きな収穫だと思います。多少なりとも自分の好奇心を掘り起こせたのは成果としてあったでしょう。

次に冊数ですが、トータルで55冊と残念ながらノルマには達しませんでした。年の前半はわりといいペースでノルマを達成出来たのですが、夏から秋にかけてがっくりと量が減ったのが響いて、年末に向けてのラストスパートでも残念ながらトータルノルマの達成には至りませんでした。まあ60冊が55冊になったところでだからどうしたということなんですが、自分で掲げた目標に達する事が出来なかったのは、やはり残念。

読書自体とは別にこのブログで実験してみたかったアサマシエイトの効果ですが、これが笑ってしまうくらいに売れませんでした。売上ゼロです。まあ、当たり前と言えば当たり前ですけどね。額が少ないとはいえ、多少なりとも売上のあったAdSenseの方がまだマシです。ただ、クリック自体はそれなりにされたんですよね。意外なことに。だからアクセスを増やせれば、多少は売れるのかもしれません。

このブログに感想を書いていて思った事。自分にとって読書というのは、特に今回選んで読んだノンフィクション系の読書というのは、本から知識自体を得る事よりも、本の内容から派生して自分の思考を巡らせることなんだなぁということ。と言ってもそんなたいした思考ではないんですけれども。だから「はじめに」にも書評ではないと書きましたが、実際にも全然書評になっていない。下手すりゃ感想にすらなってない。本を読んだ事をキッカケに自分で考えた事のメモになっている。だからどうしたという話なんですが、実際にそれを実践して結果として得られた事はそれなりに面白かった。

ということで、1年間に55冊の本を読んだ記録でした。買いためた本はまだ何冊か手元に残ってますし、今後もBOOKOFFの100円棚はおおいに活用すると思いますので、ここもまだ更新するかもしれません。読書後に思考メモレベルであっても書いてまとめるというのはそれなりに面白いことだったし。ただ、書いてまとめる事自体が多少は負担でもあったので、2007年に読んだ55冊のように読んだ全てについて書き残す事はもうしないかもしれません。