BOOKOFFで100円

BOOKOFFの100円棚で思い向くままに手にとった本を乱読した読書記録。ただし読書量は少なめ。

「ブラック・ジャックにはなれないけれど」永井 明

[2007年06月13日(水)]

元医師であり医療ジャーナリストである筆者による8人の医師へのインタビュー記録。の体裁を取っているんだけど、実際にはインタビューを前振りにした筆者自身の医療観を述べた本になっている。

その医療観なんだけど、筆者はどうも医療自体についてかなり懐疑的なスタンスを取っているように見える。懐疑的なら懐疑的でいいんだけど、それも語尾が歯切れが悪くて「~というようなことを考えなければならないのかもしれない」といった調子でどうもはっきりしない。どうせ自分の医療観を前面に出すのなら、もうちょっとはっきり言ってくれればまだすっきりするのに。

ちなみに私は西洋医学とそのベースとなる西洋科学にかなり信頼を置いているつもりなんで、医師にもそうでない考えの人もいるんだという意味で認識を新たにすることが出来た。

「上司は思いつきでものを言う」橋本 治

[2007年06月14日(木)]

それなりに話題になっていた本ということで期待してたんですが、残念ながら面白くなかった。

まず何より文章がダラダラと回りくどい。筆者自身が本文中で何度も回りくどいと書くくらいくどい。筆者もそう思うんだったら、もっとすぱっと整理して欲しい。売れっ子作家なんだから、それくらいの文章力はあるだろうに。

本書の内容を乱暴にまとめると「平社員は現場に密着しているので正しいことが分かる。上司は現場から乖離しているので何が正しいかわからない」となる。つまり平社員の方が上司より正しいと言っているわけだから、平社員が読めば拍手喝采で痛快な本かもしれんね。だから売れたのかな。でもね、それって正しいのか?

物事にはいくつもの見方がある。現場に密着していると現場のことはよく分かるがそれ以外の部分は見えにくい。現場から離れていると、現場のことは詳しく分からないかもしれないが、他の部分は見える。端的に言えばミクロ視点とマクロ視点。その両方の視点の観察結果を総合して物事は判断するべきでしょう。ミクロだけを正しいとするのでは、マクロからみると間違っている可能性も高い。

筆者はサラリーマン経験が無いそうである。ではなぜ筆者がこのような会社組織の分析を出来たかと言うと、作家として付き合っている複数の出版社の編集者からの話を総合して考えたらしい。それって平社員の言い分だけを聞いて、上司の側の言い分はゼロってこと?それで正しい分析と言えるのかしらん。

「私のミュンヘン日記―シュタイナー学校を卒業して」子安 文

[2007年06月24日(日)]

シュタイナー教育という独特(?)の教育を受けた筆者による体験記。ということでその教育法がどういうものか興味があったんだけど、その期待は裏切られた。筆者自身の成長過程や悩みに関する記述がほとんどでシュタイナー教育についてはほとんど触れられていない。

本書から読み取ったシュタイナー教育とは「試験が無い」「体験を重んじる」「伝統的生活習慣を重んじる」くらいだろうか。あとでウェブで調べてみたところ、全然違うっぽい。

じゃこの本が全然面白くないかというと別にそういうわけではなくて、10代の成長記としてはそれはそれで面白くはある。筆者は私より5歳年上なだけなんで、近い年代のドイツの学生がどういう風に暮らしているのかをうかがい知れるという意味でも面白いし。

「タリバン」田中 宇

[2007年06月24日(日)]

タイトルのタリバンを中心に、近世以降のアフガニスタンを中心とした中央アジア情勢までを概説した本。非常に読みやすい文章だと思うのだが、それでも読むのがちょっとしんどかったのは、要するにこの地域の地名や歴史についての予備知識が自分に全く無いからである。教養無いなぁ。

つくづくなんだかなぁと思うのは、タリバンにしてもオサマ・ビンラディンにしてもフセインにしても、かつては親米だったのに、いつのまにやら反米になってしまうこと。それぞれの立場があり、利害によって時には味方に時には敵にというのは当たり前の話ではあるけれど、それにしても。

面白い指摘だなと思ったのは、民族として負けた経験の有無が民族の性格を大きく変えるという点。太平洋戦争以前の日本人がそうだし、そしてアフガニスタン人は未だに負けた経験が無いから、と。そう解釈すれば戦後日本人のメンタリティが大きく変わったと言われるのも理解できるかもしれない。

奥付によると本書が発行されたのは2001年10月25日である。つまり、同時多発テロの後ではあるが、時期的に本書の大部分はテロ以前に書かれているはずである。実際、本書の中でも同時多発テロに関する記述はあるものの、非常に部分的であり、また他の文章との関連も低く、おそらくはテロ発生後に急いで追記されたのではないかと思う。そこですごいなと思うのは、テロ発生から大して時間が経っていないであろうに、この時点で既にアルカイダの犯行であるとほぼ断定している事。私の記憶では、テロ発生からアルカイダの犯行と言われるまでには少し間が空いていたように思うのだが。これはつまり当時の国際情勢をある程度知っている人にとって、このテロがアルカイダが行ったというのはすぐに分かるほどの自明なことだったということなんだろう。ただ、世間の大半の人はそこまでの知識は無かったので、それを浸透させるのに少し時間が掛かったということなんではないかと思う。私を基準にするのはなんだが、私はこのテロがあるまでアルカイダという名前を知らなかった。アルカイダが過去に起こした世界貿易センタービル爆破事件やアメリカ大使館爆破事件などはニュースとして覚えてはいたけど、それがアルカイダの犯行であるとまでは覚えていなかったし、同時多発テロに至るまでの一連の流れがあるということも把握してなかった。

「がんを病む人、癒す人―あたたかな医療へ」比企 寿美子

[2007年06月25日(月)]

筆者の夫の親友である恩チャンのがん発見から闘病と死をベースに、様々な人のがんとの関わりを書いた本。当たり前だが、重い。登場する人々は中にはがんから生還する人もいるが、実際には大半が亡くなってしまうわけだから。

考えてみれば、がんは残酷な病気である。日本人の三大死因であるがん・脳卒中・心筋梗塞のうち、がんをのぞいた二つは急性の病である。発症して亡くなるとしたら当日か数日のうちのこと。亡くなる当人にとっては病に向き合うどころか、それを知る事すら無く亡くなってしまう場合もある。一方、がんはいくら末期であろうとも当日に死ぬ病気ではない。せいぜい余命数ヶ月と診断されるだけである。告知を受けたとしたらであるが、当人はそれから亡くなるまでの数ヶ月間を死の恐怖と戦いながら過ごさなければならない。本人に告知しなかったとしても、家族は知る訳だから今度は家族がその苦しみを代わらなければならない。

ところで恩チャンは現役の医師であった。それがたまたま受けた人間ドックでがんが疑われたが、精密検査を1ヶ月近く逃げ回る。観念して検査を受けてがんと診断され闘病が始まってからは精神が不安定になり家族にあたりまくり。最後には宗教に救いを求める。医師も医師である前に人間なんだということなんだけど、患者として受診するだけの立場としては正直それはどうよと思わなくもない。

筆者は医師ではないが、筆者の父も夫も子供も友人も皆医師である。結果、この本は医師の立場から書かれている。医師と患者という二元的な捉え方は単純すぎるが、あえてその分類を行うと患者の立場からすると、それはどうよと思う点もなくはない。例えば、大学病院の医師は薄給であるとか、医師は家族を犠牲にして患者のために尽くしているとか言われても、患者としてはだからどうしたとしか言いようがない。それだけ医師はすばらしいんだから尊べというのだろうか。医師の待遇が悪いのならば、それを改善するようにすればいいと思うのだが。弱者である患者にそれを押し付けてどうしようというのだ。