BOOKOFFの100円棚で思い向くままに手にとった本を乱読した読書記録。ただし読書量は少なめ。
[2007年12月31日(月)]
これでもう二度と更新しないというわけではないのですが、一応2007年の目標だったので年末で一旦締めのエントリーを残しておきます。(実際に書いているのは年が明けてからなんですけどね)
2007年の目標として幅広い分野の本をとにかく読むというのを掲げました。具体的にはBOOKOFFの100円棚から価格を気にせずとにかく気になったタイトルの本を選んで買って読んでみると。「はじめに」には書いてませんでしたが、実は冊数にも一応のノルマを設けていて月に5冊、年間に60冊としていました。
で、その結果ですが、一応それなりに幅広い分野の本には目が通せたかなとは思います。この企画を思いつかなければ多分手にしなかったであろう本を手に出来たのは大きな収穫だと思います。多少なりとも自分の好奇心を掘り起こせたのは成果としてあったでしょう。
次に冊数ですが、トータルで55冊と残念ながらノルマには達しませんでした。年の前半はわりといいペースでノルマを達成出来たのですが、夏から秋にかけてがっくりと量が減ったのが響いて、年末に向けてのラストスパートでも残念ながらトータルノルマの達成には至りませんでした。まあ60冊が55冊になったところでだからどうしたということなんですが、自分で掲げた目標に達する事が出来なかったのは、やはり残念。
読書自体とは別にこのブログで実験してみたかったアサマシエイトの効果ですが、これが笑ってしまうくらいに売れませんでした。売上ゼロです。まあ、当たり前と言えば当たり前ですけどね。額が少ないとはいえ、多少なりとも売上のあったAdSenseの方がまだマシです。ただ、クリック自体はそれなりにされたんですよね。意外なことに。だからアクセスを増やせれば、多少は売れるのかもしれません。
このブログに感想を書いていて思った事。自分にとって読書というのは、特に今回選んで読んだノンフィクション系の読書というのは、本から知識自体を得る事よりも、本の内容から派生して自分の思考を巡らせることなんだなぁということ。と言ってもそんなたいした思考ではないんですけれども。だから「はじめに」にも書評ではないと書きましたが、実際にも全然書評になっていない。下手すりゃ感想にすらなってない。本を読んだ事をキッカケに自分で考えた事のメモになっている。だからどうしたという話なんですが、実際にそれを実践して結果として得られた事はそれなりに面白かった。
ということで、1年間に55冊の本を読んだ記録でした。買いためた本はまだ何冊か手元に残ってますし、今後もBOOKOFFの100円棚はおおいに活用すると思いますので、ここもまだ更新するかもしれません。読書後に思考メモレベルであっても書いてまとめるというのはそれなりに面白いことだったし。ただ、書いてまとめる事自体が多少は負担でもあったので、2007年に読んだ55冊のように読んだ全てについて書き残す事はもうしないかもしれません。
[2007年12月27日(木)]
糸井重里氏が企業社会で使われている独特の言い回しをオトナ語としてまとめているというのは知っていたけど、具体的には読んだことはなかった。元々はウェブサイトにあったコンテンツをまとめた本。
読んでると確かにニヤっとさせられるところはある。まあ面白いといえば面白い。ただ、分量が多い。300ページ以上もまとめて読んでると、正直お腹いっぱいになってしまう。ウェブサイトなりメールマガジンなりで1日1ネタ程度で披露されるとちょうどいいんだろうけれど、まとまってるとしんどいなぁ。
ただ、まとまっていることで資料性は高くなる。前書きに新社会人向けの教科書としてもとあるけど、現代民俗学(?)的な資料としての価値もあると思う。
読んでて気になるのは、解説文のほとんどがちょっと皮肉めいていること。読んでいるのも書いているのもオトナ語の使い手だから自嘲めいているんだけど、これだけ繰り返されると少々嫌気がさしてくる。
個別のネタでちょっと気になったこと。「名刺を切らしていまして」は別に名刺を忘れたわけではない。それは名乗っている会社の所属ではなく、実は子会社だったり下請け会社の人だということ。言われる側もそれは承知していて、相互に暗黙の了解がそこにはある。こんなことを知らないということは、糸井氏もしくはネタを出した人は、そういう他人の看板で仕事をした経験がないんだろうなぁ。それはそれで幸せなことで羨ましいことではあるんだけど。
もう一つ。「まえかぶ」「あとかぶ」が出てきたけど、会社には他にも種類があるぞ。会社法になって厳密にはなくなったけど有限会社だと「まえゆう」「あとゆう」もあるべきじゃないか。合名/合資/合同だと「まえめい」「あとめい」「まえし」「あとし」「まえどう」「あとどう」のはず。法人は会社以外にもまだまだあるぞ。財団法人だったら「まえざい」「あとざい」、医療法人は「まえい」「あとい」、宗教法人で「まえしゅう」「あとしゅう」もあってしかるべきではないか。いやないか。
それにしても「大人語」ではなく「オトナ語」か。さすが名コピーライターだなぁ。
[2007年12月11日(火)]
テレビ創世記から活躍した筆者による実体験を交えた映像に関する考察。
ちなみに筆者は元NHKディレクター。映像に関わる仕事としては王道中の王道。一方、実は私も8年ほど映像に関わる仕事をしていたことがあります。といっても映像業界の中では傍流のCG制作プロダクションで、さらに傍流のコンピュータエンジニアとしてだけど。だから映像に関しては決して素人ではないという自負はあるんだけれど、正直言って門前の小僧程度のものでしかないから、こういう王道の人に対しては引け目を感じてしまう。だからまあ、改めて素人のつもりで映像とは何かということを改めて学んでみたいなと思って本書を手に取った。
本書の前半はなかなか分かりやすいし、素直に面白い。主にドキュメンタリーを撮影する経験談が中心だけど、全てを撮影できるわけではないから映像が真実の全てでは無いという点であったり、映像が一人歩きしてしまう点などは、よく理解出来る。
エピソードの中で面白いなと思ったのは、初期の撮影現場においてカメラを移動させるたびに対象物までの距離を巻き尺ではかってピントを合わせていたところ、ついには「いちいち邪魔するんじゃねえ」と怒られてしまったという話。ここで面白いのは私の所属していたCGプロダクションのディレクターから聞いた話。ずっと時代は下がって1990年頃のこと、実写とCGを合成するために撮影スタジオでカメラがセットされるたびにカメラ位置を計測してたところ、実写撮影班から邪魔者扱いされたとのこと。かつては自分たちが同じことをして邪魔者扱いされていたのに、立場が逆転したんだね。なんか皮肉な関係。
面白いエピソードだなと思ったのは他にもある。日露戦争時のフィルムを発掘したときに、よく見ると舞台裏がちょこっと見えていたりする。つまり、ドキュメントと思ったらやらせフィルムだったと。これについて筆者は、やらせ映像であるという事を知っている人が居なくなったらこれが真実であると思われてしまうのではないかと懸念している。個人的にはそれはそんなに心配する事はないと思う。別にこれは映像素材だけに限った話ではなく、古文書でもなんでもあり得る事。そういうとき歴史家は複数の史料をつきあわせる事によって史実を推測するという作業を行っていく。映像素材も史料のひとつに過ぎないわけだから、映像だけが特別な道をあゆむことはないと思う。
この辺まではまだついていけるんだけど、後半になって難易度は一気に加速度を上げる。廃墟とかモンタージュとか割り符とか、一度通読しただけでは全然理解できんかった。悔しいんで、またいつか読み返してみたいと思う。
それにしても、今現在映像を制作している人で、映像とは何かをここまで真剣に考えている人はどれくらい居るだろうか。筆者の場合は映像が何であるかが全く分からない時代に手探りで制作してきたからこそそれを考えることが出来たのは確かだろう。既に方法論は確立され、フォーマットに則っていればベルトコンベアー的に映像が次々制作できてしまう現代において、そんなことを考えるきっかけすらないのかもしれない。私がCG制作プロダクションで働いていた時代はCG映像が黎明期だったからCGとは何であるか、何ができるかについては多少なりとも考えることはあった。でもそんな我々にしても映像自体については既に思考停止していたような気がする。それを時代のせいだけにするのは卑怯かもしれないけれど、筆者はある意味幸せな時代を過ごせたのではないかなとも思う。